前回のブログで栃木県の人口が190万人を割ったことをとりあげましたが、日本全体として人口が減ることで大きな生活スタイルの変革を強いられるのは間違いないでしょう。
→【栃木県の人口が35年ぶりに190万人を割る!】宇都宮市への影響は・・・!?
以前からこのブログではこのままでは地方インフラの維持が限界を迎えるのを語ってきました。
リクルートワークスの予測では、日本がほとんど経済成長をしない場合、労働力の供給は下がりつづけ、2040年にはなんと1100万人分の労働力が不足すると推定されています。
これは現在の近畿地方の就業者数に匹敵する数になります。
つまりあと17年もすると、日本全土で近畿地方で働く労働者がすべて消滅してしまうという衝撃の予測となっています。
昨今は『ロボットやAI』で労働力の問題を解決できると楽観論を言う人もいるだろうが、あとわずか17年で医療・介護や、建設、道路や水道などインフラの保守点検が完全にそっちに切り替わるのはどう考えて無理でしょう。
技術万能が宗教のように叫ばれ、経済成長を崇拝してきた社会もまもなく限界を迎える時が来ることになりそうです。
専門家の中には、このまま日本の労働人口減少すると、医療や介護が受けられなくなったりする人や、地方の道路が穴だらけになり、ゴーストタウン化するようなところも出てくるのではないかと悲観的な見方も多いです。
短絡的に足りないものは外から持ってくればいいと、外国人を積極的に3Kワークに導入する流れが顕在化しています。
外国人労働者を入れることで当面の危機は回避できたとしても、所詮は根本的な解決にはなりません。
外国人労働者をで奴隷のように扱う技能実習生制度は廃止すべきという議論も進んでいます。
しかも、円安も進み他国と比べて賃金が異常に低い日本に「出稼ぎ」に行きたいという外国人が減っているのに、賃金が上向く兆しすらありません。
外国人労働者の急増にともない、文化的な背景も全く違うことから住民同士のトラブルも増えています。
生活インフラを維持するためのに必要な労働者の絶対数が不足する限界点が迫っています!
近い将来、政府は追いつめられる形で、国民が自分の意志で好きな場所に住んで生活をする自由を制限する可能性も十分に考えられます。
道路や水道、電力等がのライフラインの規模を維持更新できなくなれば、自ずと居住地域に制限をかけざる得なくなります。
自己責任で、自給自足できるような人ならともかく、そうでなければ生活するのが一苦労になる場所が増えていくことになるのは間違いないです。
生活インフラを支える、医療・介護してくれる人材や、肉体労働を担う人材は技術やAIで簡単に代用できません!
これまで日本政府の基本的な考え方は、「日本人の嫌がる重労働は、低賃金でも有りがたがって働く外国人にやらせる」というものでしたがそれも限界を迎えています。
そうなると、、
人が居住できるエリアをコンパクトに集約する方向に向かわざる得ない!?
今までの日本は人口、経済を成長前提で1億2000万人という人口規模に見合う形でさまざまな社会インフラが全土に張り巡らしてきました。
山奥の過疎地にまで電気が通り、郵便も遅滞なく届けられています。
集落から離れたポツンと一軒家でさえ、119番すれば消防隊がやってきます。
山の麓にある集落に、地震で土砂崩れが起きれば、自衛隊がやってきて救助をしてくれる。
今までの当たり前が、これからの日本では難しくなる。
1億2000万人用の社会インフラを、4000万人減った人口では維持できません。
労働者がすさまじいスピードで減っていくので、郵便も届けられないし、壊れた電柱も修理されない。
公共サービスも然りで、消防団や自衛隊は近年、深刻な人手不足に直面しており、入隊希望者の年齢を引き上げるなどでどうにか対応をしている有様です。😓
人手不足が深刻化するなか、インフラはどうすべきか!?
好むと好まざるとにかかわらず、1億2000万人用に全国に広げたインフラを徐々に畳んで、8000万人規模に見合うインフラにへと縮小していかざる得ないでしょう。
とはいえ、人間というのは一度得た豊かな生活簡単にを手放すことは難しいです。
ネットでポチッとやったものは早く届いけて欲しいし、家の近くに郵便局があって、停電しても数時間で復旧し、110番をしたらすぐに警察に駆けつけてもらいたい。
そうなると、、
インフラの『質』をキープしたまま範囲を狭めていくしかない。
つまり、地域内に人を集中的に住まわせて、限られた社会インフラを効率的に回すようにするしか選択がなくなるだろう。
『居住の自由』まで制限されることは考えにくいが、ぽつんと一軒家のような過疎地はインフラの更新が行われないことが当然となり、自己責任でインフラ整備が必要になる。
今の医療や介護の現状がわかりやすい例です。
医療や介護にあたる人々は、地域内に散らばって生活している高齢者一人ひとりをケアするために、自分たちも分散するか、訪問介護のような形で拠点を点々としています。
この移動だけで人的資源を大きく浪費しています。
もし地域内の高齢者がすべて一つのエリアに集まって生活をしてくれればどうでしょうか。
医療や介護の人々はその場所に集まって、ケアをするので非常に効率的となり、人的資源は節約でき、サービスの水準も維持できます。
人が減るので、インフラを担う人も減ってしまう。
限られた人的資源でインフラを維持しサービスの質も担保するには、「移動」で時間と労働力を浪費しないように、住民にできるだけ集まって生活してもらうしかなくなってしまう。
こういう考え方で、自治体が主導して「コンパクトシティ」の計画を進めています。
宇都宮市も近い将来を見据えて、ネットワーク型コンパクトシティの形成に向けて動き出しています。
→宇都宮市のネットワーク型コンパクトシティ形成ビジョン(概要版)
構想としては立派で、人口減少に対応した「住民が集中して暮らす」という都市計画が立案されていますが、実現していくには相当ハードルが高いでしょう。
なぜかというと、人には『居住の自由』があるからです。
自治体がこれからの日本のためにはコンパクトシティが必要なので、『どうぞ皆さんこのエリアに住んでください』🙇と言ったところで、皆さんは素直に従うでしょうか?
「いや、オレは田舎暮らしがしたい」とか「郊外にいい住宅分譲地ができたから、そっちでマイホームを買いたい」となるのが普通です。
つまり現状のインフラ維持更新が人口密度に差をつけることなく、無償、平等がなら、「コンパクトシティ」という人口減少社会の現実的な解決策は、多くの人が従わない「絵に描いた餅」に終わってしまうでしょう。
いずれは、ここに住めるのはこの属性の人だけとか、高齢者はここのエリアで暮らすようにと「推奨」という形で、徐々に規制をしていくことになると見ています。
あと20年もしたら、私たちは「異次元の人口減少対策」に対応するため、自分の好きな場所で生活をすることを我慢するのが当たり前になっているのかもしれません。
いずれにしても、人的資源が大幅に不足する時代に、誰もが今の生活レベルを維持したまま、好きな場所で暮らすことは不可能になるでしょう。
★荻原功太朗の業務について★
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